れじゅろぐ

れじゅめ の ぶろぐ

高校演劇と感性の経"験"変化

8/8〜12に愛知県名古屋市のアートピアホールで開催された、第71回高校演劇愛知県大会。

愛知県の高校演劇公式サイト

わたしも高校時代に経験した大会であり、演劇観、舞台観のルーツのひとつになった大会でもあります。

演劇部にも大会ってあるんだ

演劇関係者以外からはよく言われます。あるんですよ、演劇の大会。
高校演劇の大会では一般的に、50〜60分で、高校生なりの物語だとか、主張だとか、を精一杯語ります。
時には顧問やOBOGの力を借りることもあれど、役者だけでなく演出・大道具小道具・照明といった、「劇に必要なもの全部」を高校生主体でやりますし、わたしの出身部では脚本も生徒が書いてました。
未熟ながらも高校生にしか作れないものをやっていたりして、新たな視点や思想に驚かされることもあります。

20歳が観る高校演劇

さてそんな、自分も過去に出場していた高校演劇愛知県大会を観てみて。
すごく正直に自分が思ったことを書くと。
高校生の感覚、わからん……!!
というのが本音だったわけです。

それは彼らの伝え方が悪いとか、単に下手だとかそういうことではなく。
高校生の彼らと、20歳のわたしでは、見えている世界が違うということなのかなと思います。
その証拠に、当事者である高校生たち(おそらく演劇部の生徒たち)からはテンションの高い賞賛の言葉をたくさん聞けました。

感性の経"験"変化

そりゃ当たり前だろって言われればそうなんですが、高校生とわたしの間には4〜5年くらいの生きてる時間があるわけで。
わたしだって15から20になるまでの間にはたくさんの経験をしたわけで。
特にこれくらいの歳の5年ってとっても大きな差だと思いはじめました。割合にして4:3ですし、多感な時期なのもあって吸収するものが本当に多い。

人間って、それぞれが経験したものが価値観や尺度、感性のベースになってると思うんですよ。だからもちろん、同じ20歳でも多種多様な人間がいる。
さらに高校生の彼らとは5年分、生きてる時間の差があって、そこで経験したものが高校生だったわたしの価値観を「経"験"変化」させたんだなと気づかされました。簡単に言ってしまえばこれが「すれた」ってことなのかもしれない…

でさらに、わたしより上の世代の方々はさらにその時間分の「経"験"変化」をしているわけで、感じ方や考え方って本当に人それぞれだなあと。

評価の難しさ

さて、ここで「新たな発見がありました」と話を締めれば美しく終わるはずなのですが、少々手厳しい話も。
上述の通り、(一般的に)年齢を重ねるほど経験も多くなり、感性が変化するとすれば、高校生の尺度で表現されたものに対して一体誰が優劣をつけるのでしょうか?
高校演劇では生徒・顧問・プロの審査員により審査がされ、わたしは講評委員の経験がないので内情はわかりませんが、「高校生が感じる高校演劇の魅力」をちゃんと評価できる制度になっていればいいなと思います。
そしてこれ、高校演劇の世界だけでなく表現芸術全般に対して言えることなのでは。もちろん表現する側がなるべく伝わるようにするのも大切ですが、受け手側にも(相対評価が必要とされる場面では特に)相手の価値観や感性を受け入れる能力が必要なのかなと思いました。



以下、舞台情報ログ

とき・2018/08/08(水)〜2018/08/12(日)
ところ・名古屋市青少年文化センター アートピアホール
第71回 高校演劇 愛知県大会