れじゅろぐ

れじゅめ の ぶろぐ

青春を喪失した話

昔の話をしよう。

高校生のころに、とあるインディーズロックバンドにハマった。
人生で初めてCD屋さんでアルバムを買った。
人生で初めてライブハウスに行った。
しかもそのために人生で初めて学校(の特別講義)をさぼった。
今はもう押入れのもぐらになっている10万近くしたギターも、きっと彼らへの憧れから手にしたものだった。

当時はこの世界のことがちょっと嫌いだったんだと思う。
毎朝起きて学校に行って、毎日部活をして、テスト前には自称進学校特有の山積みの課題をどうにかこなし、特別活動の研究資料や発表資料(といっても高校生の研究や発表なんて大したことないけれど)を作って、そんな日々にちょっと疲れてしまっていたんだと思う。
今となってはもうわからないけれど。

そのバンドは馬鹿らしい世界のこととか、周囲とわかりあえない自分のこととかをうたうバンドで、ちょっと疲れてしまっていたわたしのそばにいてくれて。
直接声をかけてくるわけじゃないけれど、似たような視点で世界や自分を見ている存在の証明で、高校生のわたしの本音の代弁者だった。
最寄駅から自転車置き場までの高架を毎朝、5000円の赤いカナル式イヤホンで聴きながら歩いた。
1人自室の布団にこもって聴きながら泣いた。
メロディラインは熱を持って上擦っていた。

大袈裟かもしれないけど救いだった。
日々をなんとかやり過ごすために必要だった。

そのバンドのGt./Vo. が、新しいシングルと連動した連載小説を書いていた。
もうあんまり覚えてないし、さっき調べたらページそのものが消えてしまっていたのだけれど、連載の一部にバンド離れの話があったはずだ。
好きだったバンドがどんどん大きくなっていって、ライブも嬉しいはずなのに、どこかそのバンドの音楽が自分の好みから離れていったことに気づいて、ライブに行かなくなる話。
当時は特段なにも思わなかった。まあそんなこともあるよね、程度で。

その現象はまるで予言みたいに、ほどなくわたし自身にも訪れた。
ライブの入場料が上がって、メディア露出が少しずつ増えて、そうやってバンドが成長していく一方で、わたしの代弁者ではなくなっていった。
そんな頃そのバンドは名前を変えた。わたしにとっては決定打だった。

わたしは自然と彼らのファンをやめた。

池の水がいつしか入れ替わるように、次の音楽が、趣味が、その空白を埋めた。
それでよかった。そのまま、そのバンドのことは忘れていた。

そんな彼らの名前をつい先日見かけた。
バズって流れてきたツイートにぶら下げられた宣伝だった。
聞けばメジャーデビューし、全国ツアーを控えるらしい。 アニメやドラマの主題歌も手がけたそうな。
すごいなあ。元ファンとして嬉しくなった。
昔のクラスメイトが有名人になったと知った感覚に似ていた。

懐かしくなって、最近導入したSpotifyで昔の曲から最近の曲まで手当たり次第に「次に再生」に詰め込んで聴いた。
聴いているうちにいつのまにか泣いていた。

ちょっとわかっていたけれど、もう代弁者ではなかった。
あの頃聴いていた曲が流れれば自然と歌詞をなぞれる。
満員電車の窓の外の風景とか、通学路にあった等間隔の電柱の向こう側の夕日とか、そんな記憶のかけらが、風化と美化を経て当時以上に鮮やかに思い出せる。

けれどもうあの頃のわたしではなくなってしまったのだ。
それは痛切な気づきだった。
あのときバンドが変わっていったように自分もまた変わっていた。
灯台下暗しで、短期間では実感が湧かないけれど、今も少しずつ変化していて定常なんてないんだ。きっと。

止まれないから歩くしかない。
戻れないから進むしかない。
時々振り返って、懐かしいねって笑ったり泣いたりするしかない。

さよなら青春。
おやすみ高校生のわたし。
今日もなんとか生きていくよ。

それから、バンドの方々、もう存在証明でも代弁者でもないけれど、あのときのわたしを救ってくれて、今のわたしに想い出と気づきをくれて、本当にありがとう。
しがないいち元ファンとして、幸せなツアーと幸せな未来を願っています。
またいつか懐かしさを感じにこようかな。

それからそれから、高校時代のわたし、表現したかったこといっぱいあったはずなのに力不足だからって言い訳して逃げるのやめなさい! 現在のわたしは大量の謎ボイスメモに困ってるんだぞ!
あと未来のわたし! 高校時代の前例があるんだから表現したいことは今すぐ表現するんだ! 無理しなくていいから! あなたなら大丈夫だぞ! たぶん!!

「ドナーソング」ルーティン制作日記

Nagoya Juggling Summer Cup2018、通称サマー☆カップ!で披露したルーティンの設定だとか細かなこだわりを語っていきたいと思います。

動画はこちら


Nagoya Juggling Summer Cup 2018 れじゅめ Ring Performance

審査結果はこちら

総合成績11位/18人、演技構成は4位でした。

本作品の目的・目標

  • やりたいことをやってみる。
    • ストーリー性、メッセージ性の強い作品にする。
    • ジャグリングだけでなく舞台セットや前後の時間などを利用した、「演劇的ジャグリングルーティン」を目指す。
    • 技術や(技の)完成度とは別ベクトルからの読了感を観客にもたらしたい。
      「すごい」だけじゃなく背景の物語やテーマについて思わず考えてもらえるような作品にしたい。
  • 「動きについてくるジャグリング」「自在に動くジャグリング」のきっかけをつかみたい。
  • 前の大会ルーティン(2018春:オノマトペメガネルーティンhttps://youtu.be/rueo0UCYAro)からの成長をひとつ以上披露すること。

技の練習としては、ずっと「難しい技の成功」を追いかけて練習するのが楽しくてやってきていたんですが、最近自分がやりたいことは「ひたすら難しい技をやるすごいルーティン」とはちょっと違うところにあるのかな、と思い始めました。 あるいは、ちょっと難しい技やルーティンを練習するのに疲れちゃったのかもしれません。
そんな時にたまたま出場機会をいただいたのがサマー☆カップ! で、やりたいことやってやるぜ!! の精神でこのルーティンができました。

舞台って、演者→観客への強い一方向性と、観客の反応からなる緩やかな双方向性でできているとわたしは考えていて(「舞台はナマモノ」の理由や、舞台ならではの良さ、の半分くらいはここに由来していると思う)。
元々が高校演劇出身で舞台上がりなのもあって、わたしにとっての「舞台」っていうのが表現の場というか、ストーリーテリングの場というか、そういう捉え方をしているんですよね。
本作はジャグリングルーティンの一部としての演劇、演劇作品の一部としてのジャグリング、みたいなところを目指して制作しました。

使用楽曲等

使用曲はれるりり氏ともじゃ氏の合作「ドナーソング」。もともとボーカロイド版で知っていた曲で、調を変えずに女性ボーカルのイメージだったので、めありー氏の歌ってみたを使用させていただきました。

また、作品冒頭より流れる多様なノイズは、フリー素材を組み合わせて作成しています。

原曲解釈とルーティンのテーマ

端的に言ってしまえば「あなたがいなくなって悲しいです」という曲なんだと思っています。
なのでルーティンも基本はそれに即して、でも悲しいままで終わるのもストーリー的にどうかと思って、「悲しいけれど、前を向いて生きていかなきゃな」というちょっと上向きなラストに仕上げました。
喪ったものそれ自体については、観る側がそれぞれで当てはめていただけたらなと思います。わたしはわたしで当てはまるものがあるけれど、それはまた別のお話。

制作時には音ハメや、特に歌詞ハメをかなり意識していました。というか、曲冒頭の「どれかに丸を付けてください」の歌詞ハメからこのルーティンができました。
1,2,3と数字をあてていたり、「どっちでもいい」の423-Active2フラリッシュだったりが代表例です。
少しでも曲の世界観をルーティンに反映させられたらなと思って構成していました(が、大会で歌詞全部が把握できるかというと、難しいかもしれないのは承知しています)

演ってみた感想や振り返り、今後の課題など

練習不足で技を決められていないので、悔しい部分があるのはもちろんでした。
でも「やりたいことを舞台に上げられた」という点では、過去のルーティンの中でもかなり個人満足度は高かったです。

予想はしていましたが、やはりこの尺で演劇調のルーティンをやってどれだけ伝えられるかという点や、体育館・大会の雰囲気から演劇の雰囲気を作るのが難しいという点をご指摘いただきました。やはりこういう雰囲気やストーリー重視のルーティンでは大きな課題だと思います。
今後も模索してみるしかないですねー。気が向いたら頑張ります。

以上、サマー☆カップのルーティン制作日記でした。なんと2000文字超!
長文お付き合いいただきありがとうございました~!


P.S.ルーティン前のれじゅめ~ポーズについて

すぱ所属の同期みつめちゃんが考えてくれました。かわいい振り入れありがとう。

第4回JSP:ジャグリングと舞台の共存案の模索

お久しぶりのブログ更新です。
本日の話題は、10日前に京都で公演のあったJSP第4回公演『天使・ペテン師・泣き虫』。 (関係者や更新を待っていてくれた方、10日もかかってすみません……!)

仲良しのジャグラー数名が出演するとのことで、かねてからジャグリングと舞台との共存にも興味があったので観に行きました。
拝見したのは13時開演の昼の部。本作品の初演回でした。

ジャグリングと舞台、両面からのアプローチ

さてこの作品、ストーリー・ジャグリングの両面からとてもクオリティの高い作品に仕上がっていたと思います。当日のアンケートでも両方にかなりの高評価をつけたはず。
脚本の筋としても無理がなく、自然にジャグリングをする流れに持ち込めていたのが特に印象的で、この点脚本さんはほんとうにいい仕事をされたなと。

ジャグリング面ではキャスト欄に歴戦のジャグラーたちが名を連ねていたので、レベルの高いジャグリングはしてくるんだろうな……とは思っていましたが、ちゃんと一人一人にルーティンをする時間が用意されていたのは「ああ、この舞台はジャグリング勢をそう使うのか」と思いながら観ていました。
こういうステージではルーティンらしいルーティンをしてしまうと全体の雰囲気から浮く可能性があるように思えますが、それで浮かないのがすごい(二度目)
ジャグリングのクオリティそのものは、わたしの目線からは申し分なく称賛の嵐でよかったです……みなさん上手い……!

ストーリー面というか、演劇畑のキャスト勢は、共演者にほぼ演劇経験のないジャグラーを引き連れてよくぞあれだけのストーリーのある舞台を完成させたと思います。
ジャグリングをしない分影が薄くなるかと思いきや、それを上回る強個性だったりジャグラー勢と演劇の世界の橋渡し役だったりと、やはり雰囲気の作り方・場の使い方が上手いなという印象でした。お見事でした。

見逃せなかった舞台美術

まず舞台セット。モノクロで抽象的にまとめられていて、とても好みに刺さってきてました。センス……
抽象的なセットは(ジャグリング道具とも通じて)見立てを利用していろいろ使えるので個人的に好きです。最後の下手底面のネタもよかった。
照明とも絡んでくるのですが、ジャグリングルーティンシーンで舞台の雰囲気をがらっと変えるためにホリ(背景の白幕を上下から照らして単色orグラデーションをつくる照明)が利用されていたんですよね。
で、下手・上手にあった舞台セットと同じ雰囲気の吊り物が映える。
特にジャグリングの舞台では往々に高さが必要になってくるので、ジャグリングシーンでは上部空間を意識させたいんだろうなと思いつつ、でもジャグリングしていないときにはそこに何もないと空白を感じてしまって寂しい……みたいなところにうまくはまっていたと思います。あれは好きでした。

照明といえば役者を前から照らす追従スポットライト(PINスポット)を使ってきたのもおお! と思いましたし(PINスポットは操作のために一人一台つかないといけないはずなので、照明チームが大変)、プロジェクターの利用も上手いなと思いました。

あと縁の下の力持ちの衣装さんメイクさんとかもよかった! 雰囲気に合った衣装と照明負けしないメイクだったのでいいぞー! って思って観てました。

ここが惜しい! 今後の期待など

JSPのチーム、現時点でもかなりのクオリティだとは思いますが、残る課題はジャグリング勢がどれだけ舞台に溶け込めるかだと感じました。
立ち位置や立ち方、発声、動き等々、「演劇」としてみるとまだ自然とはいえないかなと。
おそらく脚本演出の方もそれを把握していて、比較的ジャグラー勢の負担が軽くなるようにセリフ振り分けや配置を考えているのだと思いますが、そうじゃなくてジャグリング勢・演劇勢という垣根なく喋ったり動いたりできればより一層クオリティが高くなると思います。
もちろんめちゃくちゃ難しいのは理解しているつもり……でもそのうえでどうにかやってほしい!
今回の舞台が「ジャグリングと舞台の共存案として、今あるリソースを用いてつくることのできるひとつの解」だとしたら、いつか「ジャグリングと舞台の共存におけるひとつの完成形」が観れたらいいな、と感じました。

今後に期待は残るものの、とてもとてもクオリティの高い舞台鑑賞でしたし、同時に自分の中での「ジャグリングと舞台の共存」というテーマにヒントを与えてくれた舞台鑑賞でした。
キャスト・スタッフのみなさまお疲れさまでした。




以下、舞台情報ログ

とき・2018/09/15(土) 13:00開演
ところ・京都府立文化芸術会館
Juggling Story Project 第4回公演 『天使・ペテン師・泣き虫』
JSP ジャグリングストーリープロジェクト

高校演劇と感性の経"験"変化

8/8〜12に愛知県名古屋市のアートピアホールで開催された、第71回高校演劇愛知県大会。

愛知県の高校演劇公式サイト

わたしも高校時代に経験した大会であり、演劇観、舞台観のルーツのひとつになった大会でもあります。

演劇部にも大会ってあるんだ

演劇関係者以外からはよく言われます。あるんですよ、演劇の大会。
高校演劇の大会では一般的に、50〜60分で、高校生なりの物語だとか、主張だとか、を精一杯語ります。
時には顧問やOBOGの力を借りることもあれど、役者だけでなく演出・大道具小道具・照明といった、「劇に必要なもの全部」を高校生主体でやりますし、わたしの出身部では脚本も生徒が書いてました。
未熟ながらも高校生にしか作れないものをやっていたりして、新たな視点や思想に驚かされることもあります。

20歳が観る高校演劇

さてそんな、自分も過去に出場していた高校演劇愛知県大会を観てみて。
すごく正直に自分が思ったことを書くと。
高校生の感覚、わからん……!!
というのが本音だったわけです。

それは彼らの伝え方が悪いとか、単に下手だとかそういうことではなく。
高校生の彼らと、20歳のわたしでは、見えている世界が違うということなのかなと思います。
その証拠に、当事者である高校生たち(おそらく演劇部の生徒たち)からはテンションの高い賞賛の言葉をたくさん聞けました。

感性の経"験"変化

そりゃ当たり前だろって言われればそうなんですが、高校生とわたしの間には4〜5年くらいの生きてる時間があるわけで。
わたしだって15から20になるまでの間にはたくさんの経験をしたわけで。
特にこれくらいの歳の5年ってとっても大きな差だと思いはじめました。割合にして4:3ですし、多感な時期なのもあって吸収するものが本当に多い。

人間って、それぞれが経験したものが価値観や尺度、感性のベースになってると思うんですよ。だからもちろん、同じ20歳でも多種多様な人間がいる。
さらに高校生の彼らとは5年分、生きてる時間の差があって、そこで経験したものが高校生だったわたしの価値観を「経"験"変化」させたんだなと気づかされました。簡単に言ってしまえばこれが「すれた」ってことなのかもしれない…

でさらに、わたしより上の世代の方々はさらにその時間分の「経"験"変化」をしているわけで、感じ方や考え方って本当に人それぞれだなあと。

評価の難しさ

さて、ここで「新たな発見がありました」と話を締めれば美しく終わるはずなのですが、少々手厳しい話も。
上述の通り、(一般的に)年齢を重ねるほど経験も多くなり、感性が変化するとすれば、高校生の尺度で表現されたものに対して一体誰が優劣をつけるのでしょうか?
高校演劇では生徒・顧問・プロの審査員により審査がされ、わたしは講評委員の経験がないので内情はわかりませんが、「高校生が感じる高校演劇の魅力」をちゃんと評価できる制度になっていればいいなと思います。
そしてこれ、高校演劇の世界だけでなく表現芸術全般に対して言えることなのでは。もちろん表現する側がなるべく伝わるようにするのも大切ですが、受け手側にも(相対評価が必要とされる場面では特に)相手の価値観や感性を受け入れる能力が必要なのかなと思いました。



以下、舞台情報ログ

とき・2018/08/08(水)〜2018/08/12(日)
ところ・名古屋市青少年文化センター アートピアホール
第71回 高校演劇 愛知県大会

マシーン・ドゥ・シルクに学ぶ舞台音楽

8/5に愛知県小牧市市民会館で公演があった「マシーン・ドゥ・シルク」を観てきました。

 

 

カナダ・ケベック州発、日本初上陸の現代サーカスカンパニー。関東のほうのジャグラーさんが「行ってよかった」とつぶやいてるのを見つけて、あわてて予約しました。

 

無骨で緻密なステージセット

時は近未来。滅びかけた地球で生き残った5人の男が、生存者を見つけられるという機械をなんとか動かそうとする——というのが本作のあらすじ。

荒廃した世界を象徴するステージセットはまるで工事現場の足場のようで、その中に一輪車やシーソー、ブランコといったサーカスのアイテムが上手く配置されています。ギミックもたくさんあって、いろんなものが連動していたり予想もしなかった場所が動いたりと巧いつくりでした。くそー、やられた(褒め言葉)

 

言わずもがなハイレベルなアクトと

この作品、出演するキャストはわずか5人ながら、個々の能力が本当に高かった。アクロバットして、ジャグリングして、クラウンして……と多彩なパフォーマンスをたった4人のサーカスアーティストで、それもめちゃくちゃハイレベルで提供し、観客を飽きさせません。あと舞台を通しで観たときの緩急のつけかたがうまい……動と静、緊張感と親しみやすさをいいさじ加減で配置していて、観ていて楽しかったです。

サーカスらしい技術のすごさは、もっと知識ある御方が語ってくれるのを期待しておくとして、先ほど「キャストがわずか5人」「4人のサーカスアーティスト」と出てきて、あれ? 最後の1人はなにをしてるんだろう? と疑問に思った方は鋭い。

実はこの作品のキャストは「4人のサーカスアーティストと、ミュージシャン1人」で構成されていて、ここが個人的に一番推したいポイントです。

 

リアルタイムに舞台上で演奏される音楽の魅力

ミュージシャンが演奏する楽器は多岐に渡る、というか、もはや楽器に限りません。プラスチックパイプだったりステージセットの鉄骨だったりするし、ドラムスティックがジャグリングクラブになっていることもありました。生楽器から機械音まで確かな技術で弾きこなします(一緒に観に行った音大生も絶賛していました)
他の4人がダイナミックなアクトをするので彼だけが浮くようにも思えますが、けっしてそんなことはなく個性的なキャラクターの1人として舞台を彩っているからまたすごい。

舞台やルーティン披露、それに類するパフォーマンスで、予め用意した音源を流して使うことはよくあるし、それを否定はしない(仕方ないことが多いし、良さももちろんある)けれど。せっかくの「生の」パフォーマンス、それに生演奏の音楽が寄り添うとこれほどまでに息づくのだと実感せざるを得ませんでした。

演奏者とパフォーマーで完全に分離してしまうのは(比較的)難しくないけれど、それをせず全員がキャストとして舞台に立っているところもまた良いなあと。

 

存分に"実体験"を与える作品

演劇、アクロバット、音楽。生の要素を重ねれば重ねるほど、より生の魅力を最大限に活かした濃密な体験になるのかなと感じた作品でした。贅沢すぎた。ロングラン公演していたら通ってしまうと思います。

素敵な舞台を作ってくれた関係者の方々と、この舞台を25歳以下1000円で見せてくれた愛知県さんありがとう。

 

 

以下、舞台情報ログ

とき・2018/08/05(日) 14:00開演(日本ツアー4会場目/5会場)
ところ・小牧市市民会館 大ホール
シアターサーカス MACHINE DE CIRQUE マシーン・ドゥ・シルク

 

れじゅろぐはじめました

はじめましての方ははじめまして。
そうじゃない方も、ここでははじめまして。
れじゅめです。
ブログはじめます。れじゅめのぶろぐ、ちぢめてれじゅろぐです。

軽く自己紹介

れじゅめ。大学の授業でよく配られるあれです。
現役大学生。いつのまにか20歳。
大学入学とともにジャグリングをはじめて、リング(輪っか)を専門に投げています。
高校時代は演劇をやっていたので、その経験を活かしたジャグリングの表現ができないか模索中。
中部地方の民ですが、JR在来線を駆使して関東・関西にもよく遊びに行きます。ご当地の美味しいもの情報ぜひお寄せください。

開設のきっかけ

演劇だったりジャグリングだったりと自己表現が大好きで、それらの作品を観るのも大好きで、よく舞台鑑賞をします。
今まではそれをTwitterハッシュタグ「#れじゅめの舞台鑑賞」で書き残していたのですが、140字に収めるにはどの舞台も語り足りないなと。

舞台鑑賞の記事のほか、参加するイベントのお話だったり日常の中で思ったことだったりと「Twitterの字数じゃ足りないもの」「後から振り返れるよう残しておきたいもの」をこっちに投稿していこうかなと思います。

拙い文章ですがどうぞよろしくお願いします。